-願うのは、唯・・・-
「そういや今日、七夕だったっけなぁ・・・」
夜空を瞬く満点の星―――
その間を縫うように流れる美しい星の運河―――
宿直室の窓から見上げ、銀八はその輝きに目を奪われると思い出したようにそう呟いた。
「とりあえず給料あげてくれぇ~。あと校長事故れぇ~・・・って、短冊も笹もないんじゃ意味ねぇか。」
銀八は独り言をやめ窓を閉めようと縁に手をかけたちょうどその時だった。
ガサッ
「ッ・・・?」
外の草むらから何者かの気配がする。
こちらに近づいてきているようだった。
「・・・誰だ?こんな時間に。宿直室迷惑だよぉ?」
いまだ音しか聞こえない闇に問いを投げかける銀八。
ようやくうっすらと確認できたその顔は、自身の良く知る人物だった。
「高杉・・?ったくなんでまたこんな時間に・・・ッッ!!?オメッ!どーしたそのナリはッ!!」
暗闇から現れた人物が高杉だったことに一安心したのも束の間。
宿直室の明かりで浮かび上がった高杉の姿を見て銀八はギョッとした。
顔のあちこちに痣があり、制服の至る所が汚れ、握られた拳は赤黒く染まっていた。
元からとは言え、その傷に加え目もとの眼帯も合わさると、満身創痍といった感じだ。
当の本人はというと、怪我人だということを忘れさせるほどにいつも通りの、どこか冷めた雰囲気のまま、銀八が確認できる辺りの位置で足を止めていた。
「・・・何突っ立ってんだ。その傷どーした。」
「別に。全部掠り傷だ。」
「ッそうじゃなくて・・・まぁいい。とりあえず手当てすっから、こっち上がって来い。」
「んなの必要ね「さっさと来い。」
半ば無理矢理、高杉を宿直室に招き入れた銀八は救急箱を持って来て傷の手当てを始める。
その間はずっと無言だったが、粗方手当てを済ませると、救急箱を整理しながら呟いた。
「―――喧嘩か?」
「・・・・・・・まぁ、そんなとこだ。」
高杉が間を開けて返した。
「らしくねぇなぁ。お前が喧嘩すんのは1年のとき以来じゃねぇの?」
「どっかの誰かに喧嘩禁止令出されたからな。」
「それに、おめぇともあろうもんがここまで傷だらけに・・・」
「完全に体が鈍ってたんだよ。どっかの誰かに」
「あー悪かったって!・・・・・話せよ。よっぽどの理由があったんだろ?」
「・・・・・・・・・・」
高杉の言葉はそこで完全に途切れてしまった。
こうなってしまってはいくら問いただしても何も言わないだろうと悟った銀八は、話題を変えようと窓の外に視線を移した。
「今日七夕って、お前覚えてたか?」
「七夕?・・・いや。興味ねぇし。」
「寂しい奴だなぁ;;仮にも日本国の一大イベントだぞ?ま、各言う俺もついさっき思い出したんだけどな。」
そう言ってバツが悪そうに苦笑いを浮かべる銀八。
そんな銀八の真意が掴めず高杉の頭には「?」が浮かんでいた。
「それがどうしたって言うんだ?」
「ん?いや、願い事。したのかなぁと思ってよ。」
「願い事・・・」
「やっぱお前でも一つや二つあんだろ?織姫と彦星に叶えてもらいたい願い♪」
ニカリと人懐っこい笑みを高杉に向けたが、高杉は俯き加減で何か考えているようだった。
まさかここまで真剣に考えるとは思っていなかった銀八が多少面食らっていると、フッと高杉の顔が上がり視線がぶつかった。
どんな願いなのか、湧き上がる好奇心から耳を傾けると―――
「アンタは何を願ったんだ、銀八。」
逆に聞き返されてしまった。
やれやれという具合に後ろ頭をガリガリ掻くと、サラリと言い放った。
「んなの決まってんだろぉ?おめぇらの《卒業》。今はそれしか頭に「嘘言え。」
「・・・お前なぁιιあーあーそうですよぉ、どうせ俺は給料のことしか考えてませんー。」
「教師のセリフとは思えねぇなぁ。」
「うるせッ。その教師のセリフというやつをたった今述べてやろうとしたのを速攻蹴散らしたのはおめぇだろうがッ」
心に沁みるいい言葉を今まさに言おうとしていたというのに、サラリと否定されてしまった。
銀八が呆れて素直に白状してみせると、高杉はニヤニヤと底意地の悪そうな笑みを張り付けている。
そんな高杉にブツブツ文句を垂れながら、茶でも淹れようかと立ち上がろうとした銀八だったが、不意にその腕を掴まれ中途半端な姿勢で動きを止めてしまった。
そこで見た高杉の顔に先程までの笑みはなく、吸い込まれそうな鋭い眼光を宿した表情に変っていた。
「どうした?」
「・・・・・傍にいろ。」
穏やかな表情と声で問うと、高杉はぶっきらぼうに呟いた。
銀八は苦笑し、その場に座りなおすと、目の前にいる男の頭をポンポンと軽く叩いた。
「なんだぁ?高杉君は甘えん坊だなぁ♪・・・・・;;;」
軽くからかってやると、それがよほど癇に障ったのか、高杉が射殺す勢いで普通にしてても鋭い眼光をさらに鋭くして睨んできた。
「ぅぅぅ嘘嘘;;冗談だって・・」
「てめぇは・・・無防備過ぎるんだ・・・」
「・・・・・と、言うと?」
突然声のトーンを下げて言った高杉の言葉に素直に疑問を投げかける。
高杉はゆっくりと口を開いた。
「さっき、校門の前に他校の奴らが居た。」
「こんな時間にか?」
「こんな時間だからだ。何処の誰の情報だか知らねぇが、奴ら、お前が今日宿直で一人学校に残ってるの知ってて居やがったんだ。」
「そりゃぁまた・・・ご苦労なことで」
「またそうやって呑気な事言いやがってッッ!!かなりの人数だったんだぞ!!もし俺が塾の帰りで通りかからなかったら、今頃、お前は奴らに・・・」
きつく顔を歪める高杉。
そんな彼の頭を、銀八はくしゃくしゃと撫でまわした。
顔を上げると、そこには銀八の柔らかい笑みがあった。
「つまり、おめぇは俺を守るために喧嘩したんだな。」
「・・・・・・見過ごすわけには、いかねぇだろうが・・・」
「それはいいんだが、ただよぉ、俺を見くびってんじゃねぇか?その辺の馬鹿なガキの10人や20人。軽く蹴散らせるのはおめぇが一番よくわかってんじゃねぇか。」
「・・・そうかもしれねぇけど・・・だが」
「わぁってるよ。ありがとな、高杉。」
「・・・・・・」
「高杉?・・・ぇッ」
途端に視界が反転し、気付いた時には見事高杉に押し倒されていた。
銀八は間の抜けた表情で高杉を見上げ、高杉は無表情に銀八を見下ろしている。
「もう・・・限界だよ・・・」
「た、高杉くぅん?どうし」
「銀八・・・お前を・・・俺のものにしたい。」
高杉の口から出た言葉に思わず目を見開く。
しかし、それも束の間。銀八はプハッと思いっきり吹き出してしまった。
高杉が訝しげに睨んでくるのもお構いなしにひとしきり笑った後、納得したように呟いた。
「随分と、大胆な願いだな。織姫も彦星も呆れるんじゃねぇか?」
そう言って柔らかく笑いかける銀八を余所に、高杉は必死に苛立ちを抑えているようだった。
「そうやって、誤魔化すつもりか。」
「誤魔化す・・・ねぇ。んなつもりはなかったんだが・・・」
言いながら銀八の手が高杉の頬に添えられた。
「悪いな。一生徒を特別扱いすることは出来ねぇんだ。」
「・・・・・・ッ!?」
銀八の言葉にやり場のない悔しさを感じ目を堅く閉じると、次の瞬間唇に温かいものを感じた。
慌てて目を見開くと、恋しくて止まない男の顔が間近にあった。
互いの唇がゆっくりと離れると、銀八は高杉の眼を見据え口を開いた。
「意味、わからねぇか?俺は“生徒”を特別扱いすることは出来ないと言ったんだぞ?」
「・・・銀八・・・ッ」
つまりは、“生徒”の立場でなければ―――
思わず銀八をその腕できつく抱きしめ、思いの丈をぶつけていた。
「きだッ・・・好きだ銀八・・・ずっと・・・好きだったッ・・・」
「あぁ、俺もだよ高杉。問題児だったお前を校長から任されたあん時から、ずっとな・・・だが今はここまでだ。俺もお前も、教師と生徒の立場に戻る必要がある今は、な。だから、ちゃんと卒業してくれよ?」
「今すぐにでも辞めて「却下だ。」
抱きしめているのは自分なのに、抱きしめられているその男は余裕綽々に優しく頭を撫でてきて―――
子供扱いされているということを不服に感じながらも、想いが通じあっていた喜びでそんなことはどうでもよくなっていた。
この学校を卒業したとき、銀八は自分を“生徒”ではなく“一人の男”として対等に見てくれる。
残り少ない卒業までの日数に対するじれったさを胸に収め、今この瞬間だけと心中囁き目の前の男の唇に深く深く口付けた。
星は瞬く―――
彼らの願いを天の川の流れに漂わせながら―――
何時までも―――